夏の家族の覚書(てか愚痴と不安と)

仕事の都合がついたので、7月16日から8月22日まで有給をもらった。
母が元気でいられる時間が残り少ないであろうと言う意思の診断を5月に告げられてからだいぶ悩んだけど…環境が許してくれそうだったから。

7月13日からの三連休を使って、姉が母を福井へつれて行き、私が16日にこっちを車で出て、8月1日まで福井で過ごす。
姉が2日から福井へきて、4日につれて戻る、というスケジュール。
その間、わりと元気そうな父はひとり。

7月22日ごろ、腰が痛いと父が言っていた。
25日には整形外科へ行くと。結果「骨には異常なし。筋肉痛ではと言われた」
これは…どこまであてに出来る情報だったのかなぁ。

この頃から腰をかばい、寝て過ごす父の姿をWebカメラで見るようになった。

予定通り1日に福井を出て、2日に実家へ。
父はとても痩せたように思う。骨転移ではないかと気がきではない。
5日に病院へ。第4、第5頚椎の圧迫骨折。
7月から新たに父の担当となった主治医はやる気なく「10中8、9病気によるもの」
父は、一年に一度変わる主治医に新たな視点での治療を期待していたようだが、それはなかった。
まぁ…科内でのカンファレンスで治療方針を決めているのだから、前任者のときに「治療は打ち止め、あとは緩和ケア」という方針が覆ることもなく…
先月行った緩和ケアの病院に今後掛かるよう説得された。

整形外科での治療(安静にして自然治癒)はまた来週レントゲンを取りにくるようにとの指示。コルセットも作ることになるがお盆休み明けの完成。それまでは市販の腰痛サポーター。
なんとなくやりきれなさを感じて帰る。

8日、ガンセンターでのセカンド・オピニオンに姉と行く。
ホルモン治療がダメとなると次は抗がん剤しかない、セカンド・オピニオンに本人が来られない状況では抗がん剤治療は勧められないと。もし、希望するなら、一度外来で来て診察を。
本人の状態(生命力?)次第とのこと。

そして、相談シートなどを受け取る段になって「お父さんの年齢を私はうっかり見ていなかった。この状況ならば私も緩和をすすめる」
…って。患者の年齢見ないでセカンド・オピニオン
して20000円って良い仕事だなぁ。
でも、まぁある程度納得感は得られたので価値はあったのかな…


なぜ、大病院で治療と緩和ケアの同時進行が出来ないのか…(治療がもうないから、と言われたけどさ)

休みはあと2週間。
自分のことも考えないとなぁ。

父もか

薬が効かなくなってきている、と今年に入った頃から、いや年末からなか。医師に言われていた。

今日、もう打つ手はない、と。
そうなのか…本当に?
すごく、ではないけれど、元気なんです。
私のお弁当も作ってくれます。
筋トレ始めたんです。

本当に?

私は両親をもうすぐ失うのだろうか…

余命

昨日、母の主治医から、母が元気に動き回れるのはあと2、3ヶ月であろうと言われました。
もともと持病はあり、それも心配していたけれども、また別の問題が出たとのこと。

そうなのか…
今、母はあれこれ自分のことは自分でできています。
料理もします。デイサービスへ行って、リハビリもやってます。
でも、その日は来ると言われました。
そうなのか…本当に?まだ実感などありません。

「動けるうちに、行きたいところへ。会いたい人がいれば会ってください」

そうなのか…どうすれば良い?


今日、会社で自分の有給を確認しました。
去年、母が倒れたり父が具合悪かったり、自己啓発つとやらにも使いました。うーん。もったいなかったな…

上司に母を故郷に連れていきたい、今ある有給をほぼ全部ぶっ込み、40日ほど休みたい、と伝えました。
7月、職場が少し狭くなることになっています。その後、一人ぐらいいなくてもどうにかなると思ってもらえるなら申し訳ないけれどもなるべく長く休みたいと。

そこまで考えているなら、どうぞ行ってらっしゃいと言ってくれました。ありがたい。

その日まで、母は待ってくれるだろうか…
同じく持病のある父をひとり残して行って大丈夫だろうか?

休みのあと、有給を使い果たして(まぁ2日残しておくつもりですが)、3月まで持つだろうか。

たくさんの不安はありますが、「連れてってあげればよかった」という後悔は残したくない。その思いだけで動きます。

どうか、一日でも長く元気で。一日でも長く一緒にいて欲しい。

すばらしき中二病

みんな何かを目指していた。

子供のころから漫画は大好きで、結構な数を持ってるし読んでます。

中高時代なんて、ちょっとお姉さんな世代の漫画を読んで哲学的な気分になったりもしたものです。
いわゆる中二病です。

でも、あの時代だけですよね、分不相応な思想を真っ向からぶつけちゃうとか(笑)
良い思い出だ!大事です!


そんな私の中二心をがっつり刺激してくれていた漫画家の吉野朔美さんが亡くなったという衝撃のニュースを昼休みに見て、その後仕事あるのにかなり動揺してしまった。
正直最近はそんなに吉野さんの漫画を読むことはなかったのですが、でも私の成長過程では間違いなく多大な影響を与えてくれた漫画の作者さんでした。

まだ信じられない。
悲しいなぁ。
王様のDINNER HAPPY AGE 月下の一群 少年は荒野を目指す
タイトルだけでもあのころの青い時代がよみがえってきます。

本や音楽って、本当にタイムカプセルのようです。
吉野先生、素敵なタイムカプセルをありがとうございました。

出来ればまだ新しいカプセルを作り出して欲しかった。

現代に通じるもの

なぜこのおっさんがパスターに?(笑)

俄然江戸マイブーム炸裂中。

練馬区立美術館で本日まで開催していたKUNIYOSHI ism展。
居心地の良い展覧会で結果中期2回と本日の後期展示を1回の3回行ってしまいました。
どうせなら前期も見たかったけど、いかんせんいまだ情報網が甘く、気づいたときには中期でしたとさ。

国芳の良さってなんなんでしょう。
こちとら水滸伝平家物語もさっぱり読んだこともないのですが、それでも見ていて「うわかっちょいい!」とか「なんか知らないけど楽しそうにしてるなぁ」というのが画面から感じられるところに惹かれてるんでしょうねぇ。
だって知識無いのに楽しいんだもん。

たぶん日本画にはまり出したのは3年ほど前に見た幽霊画の展覧会だと思う。
あれを見たとき、「なんだ、こりゃ!普通に面白い!」と衝撃を受けましたので。
そっから鳥獣戯画やらなにやら目に付いたものを見始めて、どんどんはまったと。

あー、この調子で日本史や古典、草書に長けてくればたいしたものなんだけどなぁ。

さらばレビ子

先週、19年連れ添った愛車が凹んじゃいまして。
修理費用38万と言うことで、これは無理だなと。

2度の凹みにも耐え、長く私といろんな所へと行ってくれた愛車で、12月に車検も通してもうしばらく付き合ってもらう予定だったのですが非常に残念です。

先ほど、れ
レビ子を預かってくれている車屋さんに行き、最後のお別れをしてきました。

ラジエーターにさびもあり、結構満身創痍だったのですが、猿人やバッテリーの調子も良くて、整備をしてくれている方ももうちょっと大丈夫、と言ってくれてたので非常にショックも大きいです。

マイナーな車だし、生産修了してからも19年。人気車種だったらモデルチェンジしてでも同じ車種あったかもしれないのになぁ。

うーん。辛い。
あのエンジン音、軽いドアの開閉音、コロンとしたシルエット。
居心地のいい空間。

なまじちゃんとまだ動くだけに辛い。
でもそんなに車道楽というわけでもないので、ここはきちんと現実を見ないとね。
はい。分かっています。

長いことありがとう。